
「マッキーの\ちょっと書かせてよ〜/」第二回の今回はちょっと真面目なお話。
セクシャルマイノリティの方は共感してくれる方も多いかと思いますが、ストレートの方にはやや新鮮に映るかもしれません。
今回書きたいテーマは、そう、「はじめてのカミングアウト」
様々なカミングアウトがありますが、セクシャリティに限定して話したいと思います。
はじめてのカミングアウトは大学一年生のとき
セクシャルマイノリティのみなさんのはじめてのカミングアウトはいつでしたか?
中にはまだしたことがないという方もいらっしゃるかもしれませんね。
自分がセクシャルマイノリティだと気づいたとき、不安になる方が多いと思います。
そして受け入れるのに時間がかかったりするものです。
御多分に洩れず、私もそのひとりでした。
自分が「もしかしたらゲイなのかも……」とはじめて自覚したのは中学一年生のとき。
性の目覚めとともに興味を持った対象は周りの子とは違い、男の子でした。
そこからすんなりゲイになれたわけではなく、女の子と形だけの淡い恋のようなものをしては、いつか「ふつう」に戻れることを期待したりもしていました。
そんな悪あがきをしていた私が自分のセクシャリティを受け入れられたのは、大学デビューと同時に彼氏ができてゲイデビューを果たした瞬間でした。(初彼との馴れ初めはゲイ茶102にて)
自分がノンケにはなれないというある種の諦めがつき、はじめての彼氏ができた私は浮かれていました。
私の性格をご存知の方はわかると思いますが、とにかく誰かに彼氏の存在を自慢をしたかったのです。笑
そこで私は大学の友達に「彼女がいる」と安易な嘘をつきました。
どこで知り合ったのか、何歳なのか、芸能人の誰に似ているのか、セックスはどうかなどと様々な質問をされてしまった私はすぐに後悔します。(東京で知り合い、27歳で、柴崎コウ似、そういうことは聞かないでよ〜みたいな感じで回答したのかな)
やがてこの嘘は自分をどんどん苦しめていきます。一つ嘘をつくとその合理性をとるためにまた更なる嘘を塗り重ねていく、という経験は誰しも少なからずあると思います。
そのとき私には親友と呼べる女友達が3人いました。よく4人で一緒に遊んだり、お泊まり会もしていたので、この時点でどう考えてもノンケではなかったのですが、若くてピュアだった私たちはそんなことは気にも留めていませんでした。
ついにその瞬間がやってきた……
仲良しの友達にも嘘をつき続けることに耐えきれなくなった私は、大学の課外授業で横浜を訪れた際、宿泊先の女友達の3人部屋に押しかけて大事な話があると宣言します。たしか時刻は23時ごろ。
そのときの私は自分がゲイであることが何より罪に思えていて、一般の人たちからしたら忌むべき存在だと思い込んでいました。
何かを告げようとする私にやさしい眼差しを向けて、彼女たちは「ゆっくりでいいよ」「今日無理に言わなくていいからね」と気遣いの言葉を投げかけてくれます。
私は「この話を聞いてぼくのことを嫌いになったら友達辞めていいからね」とひたすらに繰り返します。
やがてしびれを切らした友達は重い話の予想をしはじめます。
しかしどの予想もまるで的外れ。しまいには「お姉ちゃんと付き合っているとか……?」と言われ、「それはないけど、まだそっちの方がいいかも」と私もよくわからない回答。
こう着状態が2時間は続いたかという頃(今思うと夜中に押しかけてきて一向に言おうとしないなんて迷惑でしかない)
私は意を決して「ぼく……男が好きなんだ。実は彼氏もいて……」と言いました。
その瞬間肩の荷が降りたという思いと同時にこれで友達を失ってしまったという空虚な気持ちが襲ってきました。
数拍置いて、友達の1人が「なぁんだそんなことか!」と口火を切ると、次々に、、
「これで恋バナできるじゃん!」
「友達であることに変わらないよ!」
「マッキーはマッキーだよ!」
と思いもしなかったやさしい言葉の嵐。
そのときの私は友達を失わなかったという安堵感が先にやってきて、あとからありのままの自分を受け入れてくれたという何物にも代えがたい喜びを感じて、気づいたときには大号泣していました。(そして夜中に執筆している今このときも思い出して涙ぐんでいます、、)
それからというもの、ことあるごとに彼女たちに彼氏との自慢話をしては、みんなが喜んで聞いてくれるというずっと憧れていた経験ができるようになりました。
今思えばこのときの原体験が「ゲイ茶のマッキー」の惚気キャラの素になっているのかもしれませんね。
ちなみにこの3人の女友達とは、私が大学を1年で中退したあとも交流は続き、今でも親友と呼べる仲になっています。
大学を辞めて色々なものを失った私が唯一得たものがこの友人たちです。
「はじめてのカミングアウト」、人によってはいい思い出ではない方もいらっしゃるかと思います。
私は幸いなことに、良き友達に恵まれ、はじめてにして自分を肯定してもらえるという成功体験をさせてもらうことができました。
その後、素直な人格形成や自己肯定感が高くなったのもこのときのことが少なからず影響しているのではないかと思います。
(その弊害で散々な男性遍歴を送ることになった気もしますが、それはあくまで自分自身の問題)
もし私がゲイでなかったら、こんなに思い悩むことはなかったかもしれないし、もっと楽に生きることができたかもしれません。
でもこの体験がなかったら、今の私にはなれなかったし、きっとこの女友達たちと親友になることもできなかったし、ゲイ茶メンバーや周りにいる大切な友達、そして今の彼にも出会うことはできなかったんですよね。
そう思うと大変なこともたくさんあったけれど、すべては自分にとって大切な経験で、そして、今この瞬間がとても貴重なものだという気がしてきます。
決してカミングアウトを推奨するわけではありませんが、大切な人たちに自分を偽らず受け入れてもらえるというのはいくつになっても必要としていることだと感じます。
今カミングアウトをしようか悩んでいる方がもしいたら、「あなたが好きな方はきっとどんなあなたであっても受け入れてくれるはず」と背中を押してあげたいです。
できることなら思春期のときの自分にアドバイスをしたり、「未来はそんなに悪くないよ」とも言ってあげたいですね。
夜中に書いているので、きっと後で読み返したら恥ずかしいぐらいの自己憐憫に浸った文章になっているかと思いますが、あえてこのまま掲載します。
私の思いのままに書いたこのコラムが誰かの心に届いて、なにか小さな変化が起きたとしたらそれに勝る喜びはありません。
長文にお付き合いいただきまして、ありがとうございました。

- 書いた人
- マッキー恋するファッショニスタ
ファッション好きでとにかくおしゃべり、都内在住、アラフォーゲイ。ゲイ茶の中では恋愛担当かつ癒し系枠。
ここだけの話、実はあの人気BL作家「藍内蒼馬」という噂。
ほかに「マッキーの\ちょっと聴いてよ〜/」というひとり番組も配信中。
https://lit.link/mackypodcast