わびさび茶飯事

COLUMN
2024.08.22

太陽とテレビはいずこに

「君は、いいですよね……」

西陽が差し込む私の部屋で、翡翠色の瞳に涙をにじませながら友人はそう言った。

もう今年も半年以上も過ぎるというのに、私達は全く会っていなかった。気が向くまま連絡をして、今や3人の子供を持つ彼の休日を確保するのはいささか難しい。でも会えないことをなじったり、寂しく思うような若さも従順さもなければ、わざわざ日程調整をして会おうとする気力も体力もなく、次の機会が気長に待てるほどには私達の付き合いは長い。

15年。

ビールもワインも苦手だったあの頃の私を、彼は知っている。

「久々に会いましょう?」

珍しく向こうからLINEが入った。かつて分断された異国で生まれ育った年上の友人は、15年経った今でも私に敬語を使う。

この数ヶ月会えなかったことが不思議なくらいに平日の夕刻前、彼は軽々と我が家にやってきた。

止まらぬ地球温暖化とは違って、私たちの関係は一定の温度を保ったままお決まりの挨拶を早々に済ませ、近況報告を交わしあう。そして聞かされた。

「リストラされた」と。

初めすぐにはそれが何を指すのかわからなかった。彼の口ぶりがあまりに淡々としていたから。でもどうやらあの、リストラだ。

ふと小学校のときのバス旅行が脳裏に浮かんだ。帰りのバス車内、クイズを出しあう後ろの席の男子2人

「サラリーマンが嫌いな2つの動物はなーんだ?答えはリス🐿️トラ🐅!」

そう言って笑いあっていた。どこか冷めた目で聞いていた私だけど、結局私達は当時ニュースを賑わしていたその文字を理解できるだけの子供で、それによる人の痛みまで想像できない子供だったこと。社会の不都合なことがまるで自分には降りかからないと言わんばかりの根拠なき自信を持ってたことを唐突に思いおこされた。

けど、

生きていれば多くのことが身に降りかかる。

何を失っているのか

生活は心配してないし、すぐ次は見つかると思っている。というその後につづく言葉があったからか私に彼を慰めようとする気持ちはなかった。

「ただ、自分が選ばれない存在になったことが悲しい。これは中年の危機なんです。」と。

中年の危機。

ミッドエイジクライシスともミッドライフクライシスとも呼ばれるそれはかつて心理学者ユングが提唱したもの。人の一生を太陽の位置に当てはめ頂上からくだっている途中、それがミッドエイジなんだとか。

彼は今それに直面していると言う。

自分なりに貢献してきたけど、こうして会社のチームの増員に伴い切り捨てられた。そして時間が出来たときには子供達は相手をしてくれないことを彼は嘆く。ついこないだまでは脂肪分をたっぷり含んだミルクのようにベタベタあまえていた子供たちも、いつのまにか外に世界を作って彼の手をすり抜けていく。喜ぶべき成長は今の彼にとって寂しさを助長するだけにしかならない。結局のところ家族や友人、恋人がいても寂しさは襲いかかるし、名称のある関係に孤独を埋める永久保証までは付いてない。

あのころと今を教えてくれるiPhone

「あの時を覚えていますか?」

と、彼に追い討ちをかけるようにかつての子供達との画像が時折彼のスマホ画面に移る。ほんの数年前なのに随分遠く感じさせるその機能は彼の気持ちを曇らせる。

そして、

その画像の中には私もいるらしい。

子供たちの成長は私と彼の歴史の長さでもある。沸き立つ母性の行き場として彼の子供たちと遊んだ日々が彼のスマホに刻まれているのだ。大きく育って手を離れていく子供と、何も変わらない私との距離感がこうして今や彼の目の前にあった。私たちは時間の経過を嘆くこともあれば、こうして積み重ねた時間の尊さに気づくこともできる。太陽が傾いて一日が終わろうとする時、確かに寂しい気持ちになるかもしれない。残り僅かな時間を思って焦燥感にかられるかもしれない。

けど、

かげりゆくその時間に振り返る時間は愛しいし、何より夜を迎えるその瞬間を美しいと私は思う。

そして彼は冒頭の言葉を口にしたのだった。

炊き立てのご飯を食べたとき、風呂上がりにのどを潤したときや、旅行から帰ってきて家でくつろいだときのような

「いいね」そのものの口調で。

there is……

「君はいいんですよ」

目を潤ませて語る彼に私は何も言えなかった。今更かける言葉もかけたい言葉も私にはない。せめて彼の言葉を受け止めるだけのことはしてあげるべきだと思った。ただ友人として。

「君の何がいいって、

………テレビがないところですよね」

涙声で彼はいった。

…………

テレビがない???

「はい、テレビがなくて静かです」

そのまま彼はこう続けた。まるで英語の例題みたいに。

「It’s quiet with no TV.」

彼の国の言葉でいえば

「Es ist ruhig und es gibt keinen Fernseher.」

と言ったところだろうか。部屋はその人を表すとは言ったものの、いずれにせよ主語は私じゃない。そもそもテレビが私の部屋にないのはここ2.3年。彼が遊びにくるのは2回目。

テレビがない。それがアタシ????

満足したのか持参してきたワインとチーズを猛烈に食べだした彼に次の言葉は待ったがその後は何もなかった。詰まるところ長年の友人が認めるアタシの良さは、

テレビがないところ。

持たざるものだけを数えても

思えば私たちは自分の手元にないものを数えてしまうことがある。あの人にあって自分にはないもの。大抵それは自傷行為の道具にしかならない。

年収の高い仕事や、恋人や、家や、自分の内面の数々。

けど持たないものが意外にもその人を良さを表すことがある。テレビのないアタシのようにね。

自分自身に足りないものを感じたとき、その事実に心を苦しめられそうなとき、それを持たない自分を思い返して誇りに感じてほしい。貴方が持ち続けてきたものだけでなく、持たないからこそ放つ魅力がそこにはあるはずだから。

それでも悩めるそのときは

テレビ棄てて。

愛をこめて 

トトメス

書いた人
トトメスシャカリキ枕(詞)女優

トトメスです。魚の食べ方に定評があります。 頭も食べますし、ヒレも食べます。

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