
気づいた時には
自分の変化に時折ハッとさせられることがある。進化とされる成長なのか、おおよそ退化とされる加齢なのか。明確な捉え方の違いはあれど、気づいたその刹那、以前のアタシとは違うことを知る。そしてそこにはもう戻れないことも。まして、心変わりなら尚更だ。
あんなに心をときめかせ、ざわつかせ、弾ませてくれたあの時間は、水面に映った太陽のように鮮烈で、振り返るアタシを眩ませる。でもこの先、
「好き」
とはもう言えない。どうしたって不純物が混ざり込んでしまう。地下の奥底から汲み取った天然水の如き感情が、アタシの中で枯渇しようとしていることに気づいてしまったから。
「嫌いじゃないけど、以前の好きじゃない」
その事実は、アタシの中の豊かな資源が一つ失われたことを意味する。
夏残る公園で
吉祥寺は井の頭公園。
アタシは1人の友人と久しぶりに顔を合わせた。同じ干支に生まれた、気取らない女の友人。
「夏がもうすぐ終わるね」と呟いたであろう幾人(アタシも例に漏れずその1人)かの大方の予想を裏切り、9月の公園には夏が雑魚寝レベルで居座っていた。
意気揚々と冷えたお酒と料理、お皿や割り箸、グラスまでも持参したアタシ。
一方、
令和のサザエさん総選挙に出馬表明するかのようにスマホ以外全てを忘れた女(以下、サザ子)
めかし込んだ若い女の子2人が飛ばすシャボン玉に囲まれながら、ゲイとサザ子2人はお酒を交わす。そこでいろいろ準備してくれたお礼にご馳走する、とサザ子が言うのだった(スマホ決済の時代に感謝)。そして、
「カキ氷食べようよ!」と。
蘇りしあの頃
かつて、シュンを含むアタシ達3人はカキ氷を愛でるメンバーとして都内各所に脚を運んでいた。削られた氷が魅せる、彩り豊かな世界。万華鏡のように煌びやかで様々な表情を見せるカキ氷は、アタシ達の心を捉えて離さず、汗をかきながら並ぶのを厭わないほどに夢中にさせた。スマホを遡れば、それぞれが選んだカキ氷と笑顔で映るアタシ達の姿がそこにはある。
だから、サザ子の誘いは至極当然だった。
アタシ達は好きを分かち合う同士。おまけに井の頭公園を出て目と鼻の先、吉祥寺が誇るカキ氷屋「ぴぃす」があるのだから舞台は整ったも同然。にもかかわらず、アタシの返事は持っていたビールのように生温い返事になってしまった。
例えて言えば
「ぴぃす」のカキ氷はポップでキュート、ドーム型の氷は旬の果実と色鮮やかなソースをたっぷりと纏う。見た目は親しみやすい犬顔系で可愛いさをふりまきながら、トレンドをしっかりと抑えて自分アレンジをほどこしたオシャレ男子そのもの。多くの人が視線を奪われるのも無理はない。アタシだってその1人だった。人気の彼だからこそ会うのはなかなか至難の技、隙あらばぜひお近づきになりたい、そんな存在。
9月の平日。夏が居座ってるといっても待つのはたったの30分。それまで適当に時間を潰して、順番が回る頃にお店に戻ればいいだけの話し。スムーズにことが運ぶのにアタシはその30分、近くの古着屋を眺めなら頭の中ではずっと同じことを堂々巡りさせていた。
「アタシ、何を食べたいんだろう…」
選ぶ楽しみを感じえぬまま、この日の最適解を模索するアタシ。本当は、カキ氷を提案された時にはもう気づいていた。随分と食べに行ってないことを。食べたいという欲求にかられることがなかったことも。だからいざ目の前にすると何かが決定的になってしまいそうで怖くもあった。ぼんやりとしたモノに輪郭を与えようとするのはいつだって恐怖が付き纏う。
華やかで流行に敏感なぴぃすのカキ氷に気後れしてるだけかもしれない。
内心の怖さをそんな可能性で打ち消そうとしてみる。昨今オジに目が行くアタシからすれば、
無骨で荒削り、自分の信念は曲げない格闘家のような宇治金時だったり、
今なお謙虚さを美徳とし、基本に忠実であろうとする僧侶みたいなみぞれが、
しっくり来るんじゃなかろうか。しかし果たして、ぴぃすにそんなカキ氷は存在しない。全てが愛くるしく、スター性をもった容姿端麗のカキ氷たち。
アタシの一抹の不安と葛藤を知らぬままサザ子とお店の前に立つ。
サザ子が苺にするか、イモにするかで悩む中、アタシは覚悟を決めていた。
「もう一度、彼(カキ氷)とちゃんと向き合おう。対峙して自分の気持ちに正直になろう」って。
続く