「ご趣味は?」にたじろぐ
会話のきっかけとなるささやかな問いかけでしかないことは重々知っている。
面接でもなければ、重大な質問でもない。なのに妙に自分と向き合わされて二の句が出ない。
「この程度の好きで私が語るなんて・・」とすら思うし、
その場しのぎの無難な答えは無味無臭の上に揮発性が高く、瞬時に乾いてしまう。
会話も。自分の気持ちも。
気持ちと知識の深さ浅さに限らず、
趣味という言葉に私たちはもっと胡座をかいていいと思うの。
「心が弾んだ」とか。はたまた「穏やかになれる」とかそういう理由で。
そうして湧いた好きを手垢のついたスマホみたいにサラッと使いこなして、日常に溶け込ましていくことに私は憧れていて、今なお貪欲に探し求めていくつもり。(そんな私を現代の峰不二子と呼びたい人はどうぞ呼んで頂戴)
夏の風物詩だったはず
ある朝通勤していると、近所のマンションから40手前らしき若いパパと小学1年生くらいの女の子と遭遇。
遊びに行くような弾んだ感じもなく、ただとぼとぼと駅とは反対側に向かう二人。
こんな朝早くにどこへ?(パパ、可愛い)
時刻は6時半少し前。
もしや。あれだ。ラジオ体操。
彼らの向かう先には確かに公園があったし、駅へと向かう道すがらスタンプカードを首にぶら下げた他の子供たちや、お父さん達の姿もちらほらあってすれ違う。
(この時代にねぇ〜)
なんだか随分遠いところに来てしまったような感覚で、在りしの日の私と今尚行われている夏の朝のラジオ体操に思いを馳せてふと、
これも趣味になるのでは?
という考えに着火。煮えたぎるような暑さの中、その思いは仕事の傍ら低温じっくりコトコト煮詰められ、夜風が吹く頃にはある決断に到達。
まずは参加してみる!と。
「大好き!」という感情まで湧き上がらなくても、日常的に習慣化してしまえば話題の切り口の一つにもなるし、かつての記憶も刺激されるだろうし、おまけに身体も動かせていいことづくめ。
もちろん自宅でソロラジオ体操を決め込むことは出来るけど、どうせなら地域コミュニティに身を投じたい。
いや、むしろ投じなければ。
そうでなければ子供の頃にラジオ体操に参加して見てきた景色を思い起こせないような気がして。
新たな発見に出会えるかもしれないし。(パパ、可愛いし)
子供達から見た私って・・・
でもここで一つ懸念が。
子供達からしてみれば私はどこぞの誰だかわからない単なるオッサン、ということ。
どう足掻いても峰不二子にも、綾瀬はるかにも見られないはず。
気持ちは悪女にも淑女にもなれるのに子供たちにとってはあくまでオッサン。
その事実と向きあわざるを得なかったそんな私が、急に遠巻きでラジオ体操に参加するようになると不審者認定されるのは確実・・、という不安の波は終始満ち潮のまま私の中に滞留し、オッサンとしてどう参戦するべきなのか頭を抱えてしまった。そして考えた末に出した結論が、
(遠巻きがダメなのでは??)
というもの。
そっと見つめるような場所にいたら不審者認定されるとして、ガッツリ意気揚々と誰よりもラジオ体操に向き合う人だとしたら…。となると私が取るべき態度は一つしかない。
最前列で参加する謎のラジオ体操好きなオッサン爆誕へ…。
いざ、公園へ
そして翌日。平日休みが重なった私は6時半に間に合うように覚悟を決めラジオ体操の舞台、公園へ。
デビュー初日、ラジオ体操のためだけにいるのがなんとも忍びなく、ジョギング兼公園器具でトレーニングしてますよ感を出すビーサンの私。
待つこと数分。恐る恐るグラウンドへと向かうとそこにいたのは、
into the world of OZEE and OBAR
そこにいたのは、数人のおじいとおばあのみ。
もう四方八方おじいとおばあ。
何がなんでもおじいとおばあ。(政治家が高齢者向けに政策を打ち出すのも納得よ)
昨日までいたであろう子供やパパ達は一体どこへきえたのか。
既に年季の入ったコミュニティ感を醸し出すおじいとおばあに私は当然のことながら気後れしてしまい、さっきまでの意欲を直前で翻し、遠巻きからラジオ体操に加わろうとするヘタレっぷりが露呈。(新しいことを始めるには多少の勇気が要るわね・・・)
彼らからしてみれば、偶然公園に居合わせた子、くらいにはなるでしょう。
こうして私は、
ラジオ体操好きなオッサンから、謙虚な運動好きな若者への華麗な変身を遂げた。
そのうち、陽気なラジオの女性の声と、自身の体操に夢中なおじいとおばあに落ち着きを取り戻した私は、少しずつ距離を縮めていくことになんとか成功。あの時の私のことは褒めてあげたい。
今だからこそ
朝の空気の中、一つ一つの動きが不惑の歳40を前にした身体に効いていく。
訳もわからず、体を捻ったり、肩をあげたりしていたあの頃とは違って意味を感じながら動かす身体は、私の精神年齢とは打って変わって生きてきた年月だけちゃんと歳を重ねていた。それを労ってあげることを知れたくらいには私は充分オトナになれたんだと思う。
空を見上げて深呼吸をして、ラジオ体操は終わる。
視界に青空は映りこんでも、こんなに真上に顔を向けて空を見るのはいつぶりだろう。夏休みが短いことに気づかず、終わりが来ないかのように貪った子供の頃を思い出す。夏の短さなんてとうに知ってしまったけれど、今なお可能性にみちたワクワク感だけは残留して、こうして事あるごとに息を吹き返す。
そして家路につく
軽快なメロディーと共におじいとおばあは潔く解散。距離を縮めた私も会釈をしてその場を去る。
次はもっと彼らのコミュニティに入り込むことができるかしら。
財布と鍵を首にぶら下げたポーチに入れてる私は、なんだかそれがラジオ体操のスタンプカードのように感じて、少しの達成感を胸に親が帰りを待ってる子供の気分で家に帰った。
当然一人暮らしの部屋には誰もおらず、朝食は自分で用意するしかないわけだけど、そこにはあの頃と違う自由がある。聞こえてくる蝉の鳴き声と一身に浴びた青空に感化されて、ビールを・・・。そのおいしいこと。
最高の夏はこうして作られているかもしれない。
それから、地方に行った看護師の友人と久々に電話し私の夏の報告をした。
日傘が手放せないこと。深爪せずとも爪の硬さが増したこと。
シルバーリングが黒くなったことより歯の着色のこと。そしてもちろんラジオ体操の心地よさと朝のビールのおいしさを。
「あんた、死ぬよー?」
が友人の返答だったわ。
永久不変の懐かしさと、ジャンプによるダメージで体感する年相応のこの身。
そんな心と身体の瞬間タイムトラベルを引き起こすラジオ体操。次は何を感じるかしら。
貴方も参加してみてはいかが。
トトメス